不壊の槍は折られましたが、何か?

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死者の書/ジョナサン・キャロル

死者の書 (創元推理文庫)

死者の書 (創元推理文庫)

 亡父が著名な俳優であった青年国語教師トーマス・アビイは、天才童話作家マーシャル・フランスをこよなく愛していた。彼は休職し、フランスの伝記を書こうと決意する。そんなある日、古書店でこの作家のレア本を見付けたトーマスは、同じレア本を若い女クソニー・ガードナーと奪い合う。結局トーマスが金を積んでブツをゲットするが、サクソニーもまたいつでも見に来れることにする。以後何度か会い、マーシャル・フランスの素晴らしさを語り合う二人。それが恋愛に発展するのに時間はかからなかった。そしてトーマスとサクソニーは、一緒に伝記を書くため取材の旅に出、マーシャル・フランスが終の棲家とした町ゲイレンに、マーシャルの娘を訪ねることにする……。
 本と作家にマニアとしての愛情を注ぎ、それを隠さない人間を語り手(とその恋人)に採用した時点で、読書家の『死者の書』への感情移入は約束されている。小説を愛する人間にとって、このような素朴で純粋な想いは、特別な意味を持って胸に迫るからだ。そして、主人公カップルの、同好の士による恋愛模様も非常に印象的である。
 マニアやヲタクの胸中には、意識の表層にあるか深層にあるかは別として、同じ趣味を持つ異性と懇ろになりたいという願望が渦巻いているはずなのだ。ただし、その《同じ趣味》の濃度や種類によっては、第三者が抱く親近感を毀損してしまう可能性がある。たとえば、ここで恋人たちが共通の基盤にする作家が、スタニスワフ・レムやジョン・ディクスン・カーであったらどうなるだろう。読者は羨ましがるより先に笑い始め、物語をネタとして楽しみ始めるのではないか。『宇宙創世記ロボットの旅』『曲がった蝶番』とかを嬉々として語り合っているカップルとか登場したら嫌ですよ。この点、ジョナサン・キャロルは《重めの童話を書く作家》という絶妙な対象を持ち出し、薄過ぎず濃過ぎずの非常にバランスの良い処理をおこなう。幼少期の原初的読書体験にも関連付ける辺り、めちゃくちゃうまい。
 また、サクソニーの容姿が「かわいいと平凡の中間」とされ、性格もまともに設定されているのも良い。絶世の美女とか萌えキャラだったら、多分大切な何かがぶち壊しになったと思う。文系男子が憧れるような《甘い夢》は《甘い夢》だけど、そこはかとなくリアル、と言っておけば良いだろうか。そして一方のトーマスは、偉大な父に対する嫌悪とも愛情ともつかぬ微妙な感情を抱きつつ、気色悪がられはしないが実社会で疎外感を味わうタイプのキャラとして描き出されており、作品のテーマやサクソニーとのバランスの観点からも、実に素晴らしい効果を挙げている。
 つまり総じて、読書に魅入られ淫する人種にとってのイデアと現実を、巧みに作品に織り込んで、物語への没入を誘っている作品であるといえよう。
 ただし上記の全ては、ジョナサン・キャロルの入念かつ丹念な筆致があってこそであることを忘れてはならない。『死者の書』は設定だけで勝負する作品では金輪際ない。一番素晴らしいのは、あくまでもこの筆致なのである。また、ホラー色やファンタジー色がなかなか出て来ないこと、カタストロフの予感が徐々に高まることなど、ドラマトゥルギー上の煽りも堂に入ったものだ。若干読みにくく訳された文章(恐らく故意)も素晴らしい。
 デビュー作にして既に傑作。お薦めです。