不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

月が昇るとき/グラディス・ミッチェル

月が昇るとき (晶文社ミステリ)

月が昇るとき (晶文社ミステリ)

 グラディス・ミッチェル待望の訳出第三弾。彼女はそのオフビート感覚が称揚されているわけだが、なるほどこういうずらし方もあるのねと感心した。《オフビート》という言葉には、皮肉・韜晦・ファルスなど、どちらかと言えば作者が読者・小説・ジャンル等に対し冷笑を投げかける、そんなイメージがある。そして事実『ソルトマーシュの殺人』は非常に毒々しいユーモアが充満しており、宮脇孝雄も《盛り上がるべきところで盛り上がらず、盛り上がるはずのないところで唐突に盛り上がる》と評して、そのイメージを助長したものだ。メンタリティー面で、まさに私好みの作品といえるだろう。
 『月が昇るとき』は『ソルトマーシュの殺人』とは異なる。確かにオフビートだが、ずらした先が非常に普通の《田舎の純朴少年もの》なのである。一人称の主人公サイモン(13歳)には、皮肉な視線はほとんどない。彼は年上の女性に淡い思いを抱き、近所の骨董屋のおばさんと仲良くし、サーカスに憧れ、弟と元気に遊ぶ。サイモンには、くたびれた人間の放つ、腐臭芬々の皮肉・卑下・倒錯・諦念はない。要はまだ純粋なのである。悪ぶったりさえしない辺りが、この作品の作者が《少年を理想化して描き得る=大人》であることを思い出させるが、とにもかくにも、物語はサイモンの感受性を通して進行する。殺人事件はややもすると遠景に押しやられ、我々はミステリではなく、サイモンの物語に付き合うことになるのだった。それが結果的にミステリがらみの話になるにせよ。

 というわけで、ミステリとしての出来は正直そこまで良くないが、興味深く読めた。でも次の訳出はやっぱり、グラディス・ミッチェルの悪意が充満するような、そんな腹黒い作品がいいな。