不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

詐称

 園田高弘には興味がないけれど、訃報の新聞記事等に「国際的ピアニスト」とあるのを見て考え込んでしまった。もちろんクラヲタであれば、彼が国際的な活躍などしていないことは周知の事実だ(国際的云々と演奏の良し悪しはまったく別の事柄ではある。私は園田の演奏をそれほど評価しないが、これは偶々に過ぎない)。しかし新聞はこういう時、「国際的」という言葉を使いたがる。死者というのは、嘘をついてまで持ち上げねばならんのですか。
 単に記者がものを知らないだけか? それとも、《俺たち日本人は、こんなに貴重な人材を失ってしまったんだ!》という自己憐憫に浸りたいのか? 後者であれば、非常に気色悪いことと思う。変なナショナリズムの発露としか思えないからだ……って政治向きの話はしない*1ことにしてるんだった。危ない危ない。

*1:なぜしないかというと、私が平均寿命まで生きると仮定した場合の約半世紀にわたって、言論の自由が保障され続けるとはとても思えないからだ。何だかんだ言っても、ここ60年近く言いたい放題可能だったわけで、そろそろ限界なんじゃないのと思われてならない。最近の発言であれば責任取るのも仕方ないと思うが、数十年前の発言で責任問われる可能性だって実は低くないと思う。政治に拘りがある人なら話は別でしょうが、私は小説と音楽に拘りがあるのであって、大昔の一件で《収容》されたりしてはたまらん。生ある限り、俺はその時代に生きている特権を享受して、本を読んだり音楽を聴いたりしたいのである。