不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

トスカの接吻/深水黎一郎

トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ (講談社ノベルス)

トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ (講談社ノベルス)

 プッチーニの歌劇《トスカ》上演のクライマックスで、タイトル・ロールを歌うソプラノ歌手が、ナイフで悪役のバリトンを刺殺してしまう。小道具のナイフがいつの間にか本物に摩り替えられていたのだ!
 芸術全般に造詣が深いフリーターの瞬一郎と、彼の伯父・海埜刑事のコンビが、舞台上で起きた殺人事件の謎を解く物語。ミステリ的には小粒だがよくできた作品である。作中の殺人事件が、著名オペラである《トスカ》と、オペラ公演の現状と絶妙に、暗喩たっぷりに響き合うのは素晴らしい。ここは小説としても非常に面白いし、本当によく取材しているとも思う。カヴァラドッシ役がバイロイトジークフリート歌うような本格的ヘルデン・テノールだったり、《さまよえるオランダ人》を楽劇と書いてしまっていることなどから、作者が根っからのオペラ・フリークでないことは明らかだが、作品の質には無関係だし、逆に言えばこの程度の瑕しかない。なおこの瑕が浅いのは、本書におけるオペラへのアプローチが、音楽方面からではなく演劇方面からのものであることにもよる。
 というわけで、『エコール・ド・パリ殺人事件』がお好きな方には、遠慮なくおすすめしておきたい。

時間線を遡って/ロバート・シルヴァーバーグ

時間線を遡って (創元SF文庫)

時間線を遡って (創元SF文庫)

 2059年、ジャッド・エリオットは時間サーヴィス公社に入社した。同社には、過去へ時間観光客を案内する随伴ガイド部と、過去を監視し時間犯罪者を処罰する権能すら有する時間パトロール隊があった。ジャッドは随伴ガイド部に配属され、東ローマ帝国(作中では「ビザンチン帝国」)の首都コンスタンティノープル(作中では「コンスタンチノープル」)の案内を主に担当することになる。この魅惑的な都で、彼は先輩ガイドの手引きもあり、本来は違法である過去の女性たちとの情交を重ねるが……。
 北欧ってフリーセックスなんだぜ、という有名なデマがあるが、本書における未来人たちはまさに「北欧が誤解された」ようなフリーセックス生活を謳歌している。面白いのは、随伴ガイドたちがそれを過去においてもエンジョイしていることだ。皆かなりの好き者だが同時にかなり割り切っており、基本的に相手はとっかえひっかえ、爛れた肉体関係に起因するドロドロの愛憎劇には全く発展しない。しかしもちろん、乾燥した味気なさを湛えているわけでもなく、ロマンティックな情感で全編が適度に潤っている。21世紀人であるガイドたちが鮮やかかつ個性豊かに活写されており、会話パートはかなり楽しいし、彼らの生き様を追うだけでもかなり楽しめる。
 しかし本書の真の主役は、コンスタンティノープルそのものに他ならない。中世有数の大国の首都として、この都は建設以来、栄枯盛衰を繰り返した。我々読者はジャッドに付いて行き、そんなコンスタンティノープルの様々な時代、様々な顔を目撃することになる。それゆえ作品では、千年を超える歴史の重みと、滅亡した国への哀愁の念が印象深く引き出されている。華やかな全盛期も衰退期も、等しくしっかり描くので、余計にそう思うんだよなあ。他の都市では、同じ設定でもここまで素晴らしいセピア色の情感は出せないのではないか。
 というわけで、都市とセックスが醸し出す情感が本書最大の特徴・魅力だが、これにタイム・パラドックスが絡む。特に終盤の展開はかなり複雑で、雰囲気抜きでも面白く読める。物語をさくさく進めて、敢えてそれほど重くしないシルヴァーバーグの創作姿勢もカッコいい。情緒に見るべきものがある佳作だと思う。