不壊の槍は折られましたが、何か?

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ギュンター・ヴァント/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》


 1995年3月28日、29日、フィルハーモニーでのライブ録音。カルロス・クライバーの代役として久方ぶりにヴァントがベルリン・フィルの指揮台に立った時のもの。カルロスの演奏会だったから、元々練習時間がたっぷりあり、代役であっても引き受けることが可能だったのだと思われます。そしてこの共演が、ブルックナーの一連の演奏会&録音につながることになる。
 解釈はケルン放送交響楽団盤、北ドイツ放送交響楽団盤の時とほとんど同じである。結果に影響しているのは、オーケストラの性格の違いである。高機能なベルリン・フィルは、もちろんヴァントの指示に忠実な演奏を展開しているものの、オーケストラの響き自体が非常に分厚くどっしりとしており、木管のソロに至るまで堂々とした奏楽が、びくともしない高強度な一大建築を想起させ、聴感上はヴァントの過去の音盤とは全く異なる印象をもたらしてくる。そして終始冷静な北ドイツ放送響とは異なって、ライブによる熱気が確かに感じられ、第一楽章やフィナーレのクライマックスでは迫力満点ですらある。スケールが大きいのも、旧2種の録音にはない特徴だ。もちろん繊細で淡い味付けだって忘れられておらず、楽想の弾き分けもよく聴くと異常に細かい。これらはヴァントがしっかり管理しているものと思われる。メロディーだって魅力的に歌われるが、これはベルリン・フィルの奏者の方が腕や楽器がいいからだろう。第二楽章や第三楽章トリオにおける仄暗い表現も実に素晴らしい。ヴァントの意志の貫徹という意味では北ドイツ放送響盤の方が素晴らしいけれど、音楽を聴いてエキサイトできるという意味での《名演》は、このベルリン・フィル盤ということになるのだろう。どちらが上という議論は意味がないと思うのでしません。
 カップリングは同日の《未完成》。こちらもほぼ同傾向の演奏で、自然に流れつつ実は表情付けが非常に細かい。ベルリン・フィルも好演であり、彫りの深い演奏となっているのだが、音がずしりとし過ぎていて、《普通の》立派な演奏に近付いてしまっている。もうちょっと軽ければ、繊細な味わいがよりわかりやすかっただろう。