不壊の槍は折られましたが、何か?

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デニス・ラッセル・デイヴィス/バーゼル交響楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》

 2013年6月3日〜5日、カジノ・バーゼル・ムジークザールでのライブ録音。
 非常に画然とした演奏だえる。ノットとは対照的に拍節感が強い。これは恐らく敢えてであり、リズムとテンポを盤石なものとした上で、音の強弱で色々なニュアンスを付けていく。角ばった印象は否定しがたいが、それが悪影響を及ぼさず味になっている辺り、D・R・デイヴィスは只者ではない。オーケストラはやや硬質ながら芯のある中身の詰まった音を出し、アンサンブル全体の鳴りも良く、切れ味も迫力も十分である。ビブラートは抑え気味。チェロとバスの音が重いのが特色で、サウンドにかなりの隈取を付けており、ときには邪悪な感興すらもたらすのが面白い(これが故意かどうかは不明。録音バランスの問題かも知れませんしね)。木管群は、通常ならば横の流れたる旋律美を担当するのだけれど、この演奏では歌うというよりも飛び跳ねており、弦や打楽器のリズムの刻みを待つまでもなく、主旋律を追うだけでもリズミカルな印象が先に立つ。第二楽章ではさすがに旋律美にも気を配ってはいるものの、他の演奏のような息の長いフレージングにはしておらず、小節の強烈な制御を効かせている。そして何かきっかけを見付けたらすぐに木管のメロディーをアクセント化してしまうのだ。こうなると、この交響曲は、ミニマリスティクな側面が表面化し、一気に精巧な人工物めいた感触を湛え始める。実に珍しい。……と言いつつ、第三楽章のトリオでは一転してのびのびした歌を聴かせる。ただでさえリズミカルなスケルツォ主部との対比を重視したのだろうか? そして意外なことにフィナーレでも、意外と旋律が重視されるのであった。ただしこれらの楽章でも、伴奏部は確固たるリズムを刻み込んでおり、旋律に主導権を明け渡したわけではないことを誇示する。
 かなり特異な解釈であると思うのだが、演奏は確信に満ちており、悪びれず堂々としている。指揮者は不退転の決意で自らのやり方を全四楽章で貫徹しており、楽曲がその頑張りに見事に応えて、彼の解釈の正しさを証明してくれる。