不壊の槍は折られましたが、何か?

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ロジャー・ノリントン/シュトゥットガルト放送交響楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

シューベルト:交響曲

シューベルト:交響曲

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 2001年7月18日〜20日にかけて、シュトゥットガルトのリーダーハレ、ベートーヴェンザールでのライブ録音である。
 かなり珍妙な演奏だ。軽いノリの序奏は今や多数派で特に違和感はないものの、既にこの段階から、アーティキュレーションが微妙に個性的である。ノンビブラートというだけでは説明できないすっぴんなサウンドが、特に強奏部で、他ではなかなか見られない表情を作り出しているのだ。そして第一楽章主部に入るとノリントンの本領発揮がいよいよ発揮され、快速なテンポでさくさく軽く進む一方で、各楽器の音や旋律が遠慮なくぶつかり合う、非常に特徴的な演奏が繰り広げられる。リズムが完全に前傾姿勢を取っているのだが、徹底したノンビブラートによって音自体は蒸留されているため、ポンポンと音が前に蹴り出されて来るような錯覚に襲われる。アーティキュレーションも個性的で、随所で驚かされる。ロマン派の文脈におけるドラマ性や感情性には無視を決め込んで、音そのものの連なりや絡み合いを重視して、音で遊ぼうとする雰囲気が強い。結果として、《グレイト》が、まるでバロック音楽のように響きます。第二楽章もダイナミックな音楽になっているが、綺麗な旋律はちゃんと綺麗に聴かせてくれるし、俯きがちな表現を取るべき所はちゃんとそういうことやってます。深刻な音楽にはしない指揮者で、アンチには「ふざけてんのか」などと言われかねない人ですけど、普段あんまりそういう表情しない人が憂いに満ちた目でこっちを見ている、みたいな風情があって癖になります。
 スケルツォもフィナーレも快速に飛ばしていきますが、この二つの楽章では何故かノリントンの個性は前半ほど目立ちません。もちろんノンビブラートは貫徹しているし、音がぶつかり合うとか、旋律の絡み合いがぶつかり合いに転じているとか、よく聴いてみるとやっていることの方向性は変わってないんですよね。随所で「おっ」と思わせられます。にもかかわらずこの感想の違い。この交響曲の前半と後半では、音楽の性格が違う、ということなのだろうか。後半のミニマリスティックな楽曲作りに対し、指揮者のやれることは前半に比べると少ないのかも。とはいえ音楽自体は大変立派で、音楽の勢いが良いこともあって、これはこれで楽しい。演奏終了後にはブラボーも飛んでおります。
 カップリングは《魔法の竪琴》序曲。要は《ロザムンデ》序曲ですね。こちらもノリントン印の演奏で、実に楽しそうな、軽快な演奏に仕上がってます。この曲をこう料理するのは意外と難しいので、これはノリントン技ありの演奏と言えるでしょう。