不壊の槍は折られましたが、何か?

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ギュンター・ヴァント/ケルン放送交響楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》


 1977年3月、WDRグローサー・ゼンデザールでのセッション録音。このコンビは同年から1984年にかけてシューベルト交響曲全集を録音している。90年代に入るとヴァントの録音は本人の意向でライブだらけになるが、この全集はセッション録音だ。また彼は、別のオーケストラと《グレイト》《未完成》と3番・5番を再録音したものの、他の曲は結局正規では再録音しなかった(演奏したかどうかも私は不知)。それらの意味で貴重と言えば貴重な録音である。
 演奏は堂々たるもの。解釈面で特に変なことはしていないのだが、第一楽章コーダの序奏部再帰のちょっと前から目に見えてテンポを落とし、序奏部主題の再帰箇所がテンポの点でそれほど孤立しないように処理するのはなかなか面白い。そして「これは故意にこう弾かせているな」という拘りが垣間見れる場面――つまり何となく弾いているのではなく、はっきり意図・意識しながら弾かれている箇所――が本当にずーっと続く。ヴァントらしく、指示が大変こまかいのである。ニュアンスの付け方も実に緻密である。振る方も弾く方も、よく集中力がもつなと思います。ただし全体の流れは非常にスムーズで、《部分への拘り》によって阻害されることは全くない。これもまたヴァントの拘りなのであろう。あと表情が基本的に真面目かつ暗めで、オーケストラも美感最優先ではなく、総奏はかなりゴツゴツしていて、時々岩山を見ているような気分にさせられる。これはケルン放送交響楽団が、超一級のアンサンブルでないことも影響しているのだろう。腕は北ドイツ放送交響楽団よりも下と見た。もっとも不満が出るというような「下」ではない。これ以上のオーケストラが複数あることを知っている、程度の感覚である。というか、ケルン放送交響楽団の響きは、これはこれで味だとすら思ってます。スケールはそこまで大きくないのだが、指揮者の意志の強さは見紛いようがない。《頑固なシューベルト》が聴ける、良い演奏でした。
 せっかくなので交響曲全集全体についてもコメントしておきます。基本的に《グレイト》と同傾向の演奏で、精妙な演奏ながら後年に比べて緩く、オーケストラも注意深く鳴ってはいるけれど、微妙に反応が鈍い。この緩さと鈍さが意外や魅力に転化しているのも同じである。なお演奏の様式感は統一されており、6番までと《未完成》以降で雰囲気をわざと分けるようなこともしておらず、偉大な作曲家の素晴らしい交響曲群ということで、どの曲も立派に演奏されています。にもかかわらず1番から6番まで演奏の方がオーバースペックだという感じが全くしないのは、ヴァントの芸風の(意外と言えば意外な)汎用性の高さを物語っているのでしょう。
 交響曲第1番の第1楽章では提示部の最後の方で聴き慣れない音型(オクターブ高い感じ)が現れて驚かされた。カラヤンも全集録音の際に同様のことをやっているが、他で聴いたことが(今のところ)ない。これ、楽譜のヴァージョンが違うのか、それとも指揮者自身あるいは他の音楽家による改変なのか。知りたいのは山々だけれど、どうやって調べたらいいのやら途方に暮れております。実は意外と有名な根拠があって、俺が無知をさらけ出し赤っ恥かいているだけという可能性が一番高くて怖いけど。