不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

 1967年、エイヴリー・フィッシャー・ホールでのセッション録音。
 よく弾みよく歌いよく鳴る活き活きした演奏だ。弾けるような生命力が全篇に横溢していて、聴いていて実に楽しい。楽団員もやる気満々で、細かい箇所に様々な表情付けすらおこなう。これはアメリカのオーケストラ――たとえばこのブログで《グレイト》音盤鑑賞の一環として取り上げた、ミュンシュ盤でのボストン響やジュリーニ盤でのシカゴ響、そして実演で聴いたマゼール指揮下およびマイケル・ギルバート指揮下のニューヨーク・フィル――で見られる、指揮者の意図には真面目に従うが個々人のプレーにはそれほど表情がない演奏とは決定的に異なる。またトスカニーニ指揮のNBC交響楽団が見せた、指揮者の無茶な要求にしゃかりきに応える必死さも薄い。どこまでバーンスタインの指示でどこから自主性なのかがわからない。というよりも渾然一体となって一緒に音楽をやっている。これが本演奏最大のミソということなのだろう。バーンスタインは楽団員を乗せるのが実に上手い*1
 特色としては、リズムがよく弾んでおり、第一楽章と第三楽章主部は楽しげだ。一方で、第二楽章の寂しげな歌もばっちり表現、第三楽章トリオも憂いを混ぜ込んで万事遺漏なしだ。基本テンポは速めで、それが快活な印象を強めるのだが、旋律を歌い込むべき個所ではさり気なくテンポの変化も付けている。また場所によってはレガートの付与、デュナーミク変化など、楽想の変転に伴いやり方を微妙に変えて来る。上手い。心憎い。もちろん情感に不足は全くなく、最初から最後まで充実した演奏が繰り広げられる。技術面でも全く問題はない。録音状態も上々だ。要はどこもかしこも素晴らしいのである。バーンスタインがいかなる名指揮者だったか、これ以上ないほどはっきり示した演奏である。
 なおこの録音を私はバーンスタインのシンフォニー・エディション(60枚組)で聴いたが、このセットは本当に交響曲しか入れていない。交響曲全集とかを録音する場合、カップリングで序曲や前奏曲その他の管弦楽曲を用意するのはよくあることだが、そういうのが一切ない。「交響曲」のみで全CDが構成されている。この徹底ぶりはなかなか好ましいことである。

*1:もっとも、彼のやり方が通用しないオーケストラもあったようである。