不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

輝くもの天より墜ち/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

 惑星ダミエムの原住種族は、昆虫のような生物から進化し、翼を持つ美しい姿をしていた。彼らは昔、苦痛を与えると人類にとって非常に美味な体液《星ぼしの涙》を出すという特性から、虐殺された過去を持つ。人類の連邦政府は二度と再びこのような悲劇を繰り返さぬよう、保護官をダミエムに常駐させていた。現在その職にあるのはコーリー、キップ、医師バラムの3名である。そして今、惑星ダミエムに、20年前に爆発したノヴァ=《殺された星》ヴリラコーチャの、美しく煌く残骸が迫っていた。これを見物するため、ダミエムには珍しく観光客一行がやって来る……。
 『たったひとつの冴えたやり方』で言及された物語が、遂に翻訳された。
 まずは舞台の美しさが読者の眼前に迫る。辺境の惑星ダミエムにおける、昆虫タイプの生物から進化した有翼のダミエム人、宇宙空間に見える壮麗な《殺された星》などの光景は、過去の悲しいエピソードと相俟って、読者に強い印象を残すだろう。しかしこれらはしょせん舞台装置に過ぎない。主要テーマはあくまで人類の登場人物が担うのである。それも、その言動によって。
 ダミエムを守る3名の行政官と、そこに訪れた12名の観光客(?)+ツアー士官はしっかり描き分けられており、ノヴァ到来前後24時間に起きる大変な事態に驚きつつ、自らの行動には確信をもって対処することになる。そして物語の焦点は、次第に彼ら登場人物の「内面」に合わされて来るのだ。もちろんSFらしいセンス・オブ・ワンダーは終始維持され、がもたらす不可思議な現象が物語後半に決定的な影響を与えている。しかし、にもかかわらず本書は、娯楽性ばかりではなく、「人間を描いた」より普遍的な小説としての強さを発揮し始める。
 これには、優柔不断な人物がいないことも大きい。むろん未熟な人間が右往左往する物語にも素晴らしい小説はたくさんあるが、その場合、物語はアイデンティティー探求譚の色彩を帯びることになる。今回ティプトリーが描くものは、か弱き人間が状況に即して成長する(あるいは破滅する)様でも、自我の追求でもない。最初から確固たる信念・思想・思考をもって世界を受容することができる、成熟した人間の強い精神こそが本書のメインに据えられており、ゆえに、この作品に優柔不断な人物を配すことは許されなかったのだ。
 そして終盤で、感銘の深さは頂点に達するのである。
 ご存知のように、ティプトリーアルツハイマー症の夫を射殺し、自らも頭を撃ち抜くという壮烈な最期を遂げた。つまりは自殺である。自殺とは通常、悲しさ・怒り・憎悪をベースとする「現実の拒否」が動機であり、これを「単なる逃げ」と解釈すれば自殺一般を非難することもできる。しかし、本書を読んで、少なくともティプトリーの自殺の動機は少し様相が異なったのではないかと思った。ラストである人物が亡くなる(正確に言うと、もう絶対に助からないことが示される)のだが、生きるために本人がジタバタしないという点では自殺につながるものがある。その人物は世界を憎みも拒みもしていない。そればかりか明らかに世界を愛しながら今わの際を迎える者を見ていると、このような登場人物を描破できたティプトリーが、単純に世界から逃避するため自殺したとは思えなくなるのだ。もちろん自殺者の動機など本当の意味ではわからない。それも永久に。だがきっとこうだったのではないかと読者に思わせた時点で、本書には力があったことになるはずだ。
 というわけで、ティプトリーの作品群における位置付けはさておき、本書は単体としては素晴らしい小説である。若干長過ぎて構成上のバランスを失している気もするが、《本物》と言いたくなる何かが潜んでいるのは間違いない。魂の精髄に、普遍的な感受性が食い込んでくる。楽しく読み始めた読者は、いつの間にか物語に大変な歯応えが出て来たことに気付くだろう。じっくり噛み締め、咀嚼し、味わいたい一冊である。