不壊の槍は折られましたが、何か?

クラシック音楽を聴いた感想がメイン(のはず)

ハインツ・レーグナー/ベルリン放送交響楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

Wanderer2014-10-22

 1979年6月11日〜15日、東ベルリンのイエス・キリスト教会におけるセッション録音。
 オーケストラは低音に支えられたピラミッド型のサウンドを堅持する。音色は暗めであり、アンサンブルとして統一感が高く、まるで一つの楽器のように鳴るのも特徴だ。冷戦時代、音楽ファンはこういう音を「いぶし銀」というクリシエで表現していたのだと思います。このベルリン放送響をもって、指揮者レーグナーはふくよかな音楽作りを志向する。やや遅めのテンポを採用し、落ち着いて各楽想を魅力的に描出することに意を用いておるわけだ。どっしり構えているため、スケールがなかなか大きい。リズムの弾みは強調されていないものの、若干もっさり気味ながら推進力がちゃんと生まれているのが上手いところである。楽曲は締め上げられず開放的に鳴り響き、シックな質感を維持したまま、演奏家たちは雄大な音楽を聴き手に提示してくれる。湧き立つような感興には乏しいが、代わりに大変に豊饒な世界が広がっている。これまで聴いて来た音源の中では、ザンデルリング盤に近い演奏ではないだろうか。ザンデルリングをより《普通》にしたらこうなるんじゃないかな。
 というわけで素晴らしい演奏なのだが、オーケストラの自発性・積極性はやや弱いかも知れない。どうも落ち着き払っているというか、澄まし顔過ぎるというか……。指揮者の問題か? オケの性格か? それとも、東ドイツという統制国家が人心に及ぼす影が忍び込んでいるのだろうか?

山田和樹/横浜シンフォニエッタ シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

Wanderer2014-10-21

 2010年11月5日、横浜市青葉台でのフィリアホールでのライブ録音。
 歌謡性に傾斜した演奏で、しかもその歌がシック。第一楽章主部からメロディーをなだらか滑らかに繋げるべく、レガートやテヌートが多用されている(もちろんジュリーニのような極端なものにはなっていませんが)。抑揚もメロディーを歌うことを最重視して付与されており、迫力や推進力はその次に考慮されている感じ。結果、楽曲全体が慈しむような雰囲気に包まれることになっていて、聴感上はこれが最大の特色だ。ただし伴奏部でもリズムがぽんぽん弾んでいて、活力も必要十分に出ているのは見逃すべきではない。寂しさや哀しさなど暗い要素もしっかり拾い上げており、《グレイト》という大曲の魅力をあまさず伝えてくれる良質な演奏と評価できる。なお見栄を切るかのような場面も若干ながらあって、芝居気もちゃんとある辺り侮りがたい。丁寧な音楽作りが為されていることもあって、好感度の高い演奏だと思います。
 ただし山田和樹自身のものと思われるうなり声が聴かれる瞬間があるのが問題である。そんなところで小林研一郎の影響を垣間見せなくてもいいのに。特に、フィナーレのコーダのドードードードー3回中、2回もがなっているのは許しがたい。台無しだよ色々と。

ヴィレム・メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

Wanderer2014-10-20

 1940年12月19日、たぶんコンセルトヘボウでのライブ録音。この時期ということは、まあそういうことです。
 迫力満点の演奏である。当然録音状態は年代相応であり、低音もごもごで強奏部では音割れが頻発するのであるが、やっていることは一応わかるので、ステレオ・セッション録音の1960年のシューリヒトよりは百倍マシである。テンポ設定やアーティキュレーションに鑑みると、実際にかなり情熱的な音楽が流れていることは間違いない。
 朗々と歌わせる箇所も結構ある(シューベルトの息長い旋律線への配慮か?)ものの、基本的には速めのテンポ設定が為されている。序奏部とかこの時代の指揮者としては例外的な速さではないか。そして総奏はこの序奏部からして非常に壮麗かつアタックが激しい。これにはティンパニが目立つ録音バランスも影響しているかも知れない。主部への移行はまるで煽るかのようであり、基本的には綿密な事前計算に基づくメンゲルベルクにしては素の情熱を出している(ように錯覚させられるのだろうか?)。その後はアゴーギクが多用され、場面々々の楽想によってテンポは目まぐるしく伸び縮みするのだが、テンションは終始高めに維持されており、先述の通り基本テンポが速いこともあって、嵐のように一気に駆け抜ける。第一楽章のコーダでは、序奏主題再帰の直前でテンポをぐっと落としつつ、序奏のテンポ設定が速めゆえその再帰部自体ではむしろ加速しているように聞こえるのはなかなか面白い。第二楽章はさすがに旋律をクローズアップしてロマンティックに始めるものの、音が大きくなると途端にパッションが前面に出て来てテンポも速まる。この楽章では、動と静の対比が非常にはっきりしていて面白い。第三楽章は基本的に第一楽章と同じことが言えるけれど、さすがに同じリズムを繰り返す音楽だからか、アゴーギクは控えめだ。もちろんトリオではそんなことは言っていられないわけであるが。そしてフィナーレは凄い勢いと迫力、そしてアゴーギクアーティキュレーションの秘術を凝らして、壮大さと随所の旋律美を両立させようと奮闘している。
 全体的に弦のアクセントが結構きつめなのも特徴である。これが、この演奏に煽るかのような情感が溢れている主因だろう。打楽器も金管も鳴る時は盛大に鳴り響いている。まさしく大交響曲として造形された《グレイト》であり、初期ロマン派として可愛く演奏してやろうなんて気配は微塵もない。1945年までは一時代を誇った大指揮者の個性が刻まれた、熱い演奏である。
 なお、楽章の始まりでカカッと何かを叩くような音が入っているのが特徴。メンゲルベルクのライブ録音では、楽章間のチューニングと共によく聴かれるこの音、もしかしてメンゲルベルクが譜面台を叩いて「おいお前らそろそろ始めるぞ」と合図しているのだろうか。現代の指揮者がこれをやると、オーケストラから総スカン喰らうだろうなあ。

ヘルベルト・ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

Wanderer2014-10-19

 1981年3月23日〜27日、ドレスデンのルカ教会でのセッション録音。交響曲全集の1枚である。この全集は、同じオーケストラを使ったコリン・デイヴィスの全集に比べて、より引き締まった音楽になっているのが特色である。指揮者の個性の違いが出ているようで興味深い。そしてそのように引き締めた分、ドレスデン特有のふくよかな音色は弱まって、代わりに、古典的造形美が前面に出ている。とはいえこれは、コリン・デイヴィスと比較した場合の話であって、かの録音を聴いていない人は、このオーケストラの美音に酔い痴れることになると思料する。あと真面目。くそまじめ。特殊なことはせず、楽曲に正面から取り組んでいるようで好感が持てる――はずなんですけど、あんまり笑顔を見せてくれない演奏と言えましょうか、喜怒哀楽が薄い気がしてならない。渋いという表現も何か違う気がします。
 で《グレイト》でも、状況は変わらない。全体的に少しだけ遅めのテンポを取った上で、ブロムシュテットは音楽をしっかり構築していく。ドレスデンの美音にいささかも溺れていなのが特徴だ。ふくよかに陶然と鳴らすことなんか朝飯前であるはずなのに、ブロムシュテットは敢えてその方向に走らず、楽曲の様々なフラグメント(楽想、伴奏、内声、ハーモニー)を細かい所までしっかり丁寧に演奏させている。反面、音楽の流れには、本当にほんの少しだけ、淀みというか停滞が感じられる。弾けるような活気も薄く、最初から最後まで沈着な音楽になっているのが興味深い。90年代以降のブロムシュテットなら、横の流れや活力も十分確保したと思うのだが、さすがに三十数年前はこの名指揮者も若かったということだろうか。あるいは、東ドイツという国家の重苦しい雰囲気が演奏に表れているのだろうか? 「音楽する喜び」が希薄なのも気になるところではある。単に録音のせいかも知れませんがね。
 ブロムシュテットの《グレイト》では、サンフランシスコ交響楽団とのデッカ録音も聴いてみたいんですが、現時点では、あの中途半端なセット《サンフランシスコ・イヤーズ》でしか売られていないんだよなあ。ユニバーサル系の何とかイヤーズ系の半端さは異常である。絶対価格は上げてもいいから、ああいうの止めて欲しいんですがねえ。

ルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

Wanderer2014-10-18

 1968年5月22日〜27日、ミュンヘンのブルガーブラウでのセッション録音。
 前々から大好きな演奏である。オーケストラの音色は、悪く言えば鄙びていて、特に管などは硬い。しかし良く言えば素朴であり、生のままである。私の見方はもちろん後者である。豆腐にたとえると、胡麻豆腐や玉子豆腐、そして絹豆腐ではなく、木綿豆腐といった感じだ。こういった感覚は、この録音から十数年後のチェリビダッケとのライブ録音になると消えるんですが、この間に、具体的には何が起きたんでしょうかね。そのミュンヘン・フィルが、ルドルフ・ケンペのもとで心を一つにして、《グレイト》を聴く醍醐味をたっぷりと味わわせてくれるのである。ケンペという指揮者は達人の域に入った人で、特殊なことは一切していない、と思わせるような演奏をするのが上手い。実際この《グレイト》も、美感や迫力に依って立たず、より根源的な「音楽する喜び」それ自体をベースにした演奏を展開している。ミュンヘン・フィルの当時の特性から言って、迫力や美感で押し切ろうとしてもできなかったのかも知れない。だがそれらがなくても音楽は魅力的になり得るということを、この演奏は教えてくれる。どの一瞬を切り取っても、オーケストラは素朴な音色でもって音楽を浮き浮き/活き活きと奏でており、リズムの弾みと切れ味が、そのまま聴き手の心の弾みに直結して来る。第一楽章主部、スケルツォ主部、そしてあのフィナーレの推進力は、まこともって筆舌に尽くしがたい。だが快活なだけではなく、ふとした拍子に見せる寂しげ/哀しげ/侘しげな表情の表現も極上であり、たとえば第二楽章全般に漂う雰囲気は絶品としか言いようがない。興味深いのは、聴感上は素朴な演奏に聞こえるのだけれど、冷静に聴いているとテンポの変化が頻繁に付与されている点だ。そのテンポ変化は高揚と弛緩と完全に同期していて、ボーっと聴いていると気付かないぐらい自然に行われている。ケンペの楽譜の読み込みは一体どうなっているのだろうか。
 実演に接することができていたなら、第一楽章主部からして泣きながら聴いていた自信がある。泣くようなタイプの曲じゃないのにね。とにもかくにも素晴らしい演奏である。この楽曲を聴いた時に私が心描く《得たい感興》の全てがここにある。好きか嫌いで言えば、私は恐らくこの録音が一番好きなのだろう。
 カップリングはR・シュトラウスメタモルフォーゼン。ケンペのシュトラウスというと、シュターツカペレ・ドレスデンと組んだ一連の録音が有名だが、鷹揚に構えてオケの美音をフューチャーするドレスデン録音とはやや異なって、ミュンヘン・フィルとのこちらの録音は、より鋭く楽想に踏み込んでいく。そして感傷性も強く、より生々しい。ミュンヘンのある種の低性能ぶりを《グレイト》同様魅力に転化している点も見逃せない。これも素晴らしい演奏だ。

デイヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団 シューベルト:交響曲第8番ハ長調《グレイト》

Wanderer2014-10-17

 2012年3月、トーンハレでのセッション録音。このコンビは2年かけて交響曲全集を録音しており、これはその完結篇に当たる。
 調性に非常に敏感な演奏であり、転調する度に雰囲気をかなり積極的に変えて行く。また和音についてはパートの分解能を高めており、協和音であっても音の衝突として設計しているのが面白い。ビブラートも控えめ、ホルンはゲシュトプフトを多用、ティンパニは硬いばちを使用など、古楽から影響を受けた奏法も健在である。結果、音自体はざくざくした乾いたものになっていて、それが弾むように流れて行く。ただし表情付けはしっかり為されていて、メロディーラインの歌い込みも(リズミカルではあるが)疎かにされていない。先述の調性への鋭敏さも手伝って、ノリントンのような愉快さばかりではなく、結構シリアスな雰囲気に包まれる瞬間も多々ある。特に第二楽章などは、楽譜にない装飾音型を例によって付け加えているものの、それも込みで仄暗く、また味わい深くさえあるのだ。いざという時の迫力にも欠けていない――どころか、弦の低音部の厚みからすると、編成自体が結構大きいような気もする。よって重量感も相当あるのだ。だから第一楽章コーダやフィナーレのコーダでは、音楽は相当な巨大さを獲得する。これは大変に充実した演奏である。個人的に注目したいのは、息が浅くフレージングが短めであるにもかかわらず、シューベルトのメロディーを必要十分に歌い込んでいることだ。それはスケルツォ主部でも、フィナーレでも同じである。おかげでこれほどリズミカルな演奏にもかかわらず、シューベルトの旋律もしっかり楽しめてしまうのだ。オーケストラの音色が終始引き締まり、ノーブルな色香すら感じられるのも素晴らしい。そして乾き気味の音ながら、彼らなりの美感はどんな瞬間にも決して失わないのである。録音の良さにも触れておきたい。ホールトーンの美しさ、各楽器のニュアンス、ハーモニー全体のクリアさなどをしっかりと収録しており、何の文句もない最上の録音状態が最初から最後まで維持されている。いい仕事だ。
 以上の特徴は、他の交響曲7曲いずれにも言えることであり、そしてそれぞれに魅力的である。調性に敏感という特徴が、大抵和やかに一定の雰囲気で演奏される初期6曲から、聴いたことのない表情を引き出している。古楽器を使ったミンコフスキですら、初期交響曲はまろやかに再現していたこともあり、現代楽器を使ってのジンマンのこの表現はなかなか斬新だと思う。また《未完成》も、かなり速いテンポながらやるべきことは全部やっていて、あの暗い旋律美を十全に表現している。実に良い。というわけで、全8曲聴き応えのある演奏となっており、全集としても大変素晴らしい。加えて、交響曲以外にも、ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド イ長調 D.438、ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲ニ長調 D.345、ヴァイオリンと管弦楽のためのポロネーズ ロ長調 D.580が収録されている。ヴァイオリン独奏はコンサート・マスターのアンドレアス・ヤンケである。こちらも大変すっきり引き締まった演奏で、素敵だ。ロザムンデ関連の楽曲でないのも乙だ。というわけで、ベートーヴェンシュトラウスシューマンでこのコンビを高く評価しない人でも、このシューベルトなら行けるんじゃないかしら。装飾音型を絶対に許さないという人には、今回もお疲れ様ですと申し上げるほかないけれど。

ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

Wanderer2014-10-16

 1968年9月、西ベルリンのイエス・キリスト教会でセッション録音されたもの。カップリングは、同一会場で1964年10月収録の《未完成》である。
 同コンビによる後年の1977年盤と基本的には同傾向の演奏である。すなわち、ベルリン・フィルの重厚な音色と高い機能性を駆使しての、レガート主体・スケール豊か・強い推進力・見事な木管ソロ・豪壮華麗、といった具合の演奏である。表情付けがより素直であり、ストレートな表現になっていて、よりさっぱりしていると言えます。これをどう捉えるかが、好みの分かれ目になるだろう。オーケストラの鳴りも、77年盤に比べるとより素朴である。個人的にはよりカラヤンの個性が明確に刻まれた77年盤を好むが、ドイツ・グラモフォンの録音がベルリン・フィルをオンマイク気味に細部まで明瞭に録っていることもあり、日によってどちらが好きか変わる可能性が高いような気はします。
 カップリングの《未完成》も良い。重厚でがっしりした音響をベースに、ベルリン・フィル木管群が素晴らしい歌を歌ってくれる。こちらも70年代のEMI交響曲全集に入れた《未完成》に比べればストレートな表現になっています。ただし《グレイト》と異なって、《未完成》の場合は、70年代のEMI録音における耽美的な表現が忘れがたく、個人的好みで言うと、日替わりすることなく70年代盤を選ぶことになります。